「酔いどれトラベラー」A
ガ…っ!
「そこまでだ」
苦笑混じりの声と同時に後頭部を強打された若いコンラートは、目の奥に火花が散るのを感じた。
「痛い…それに、また俺は好きなように出来ないのか……」
「これで意識が醒めないあんたの酔いっぷりも凄ぇよ」
少年はこの隙にするりと腕から逃れ、小動物のような動きで年嵩のコンラートの背後に隠れてしまった。
「ま、ユーリの生肌に触れるのを赦しただけでも有り難いと思え。この方はちょっとした興味だけで味見できるような方ではないのでな」
「そうだそうだ!俺は北海道物産展のたらこ並に高級品だから、試食はお一人様一口までだ!」
「それは高級なんですか?それ以前に、この若いのはともかくとして、他の奴に味見をさせたらお仕置きが酷いですよ?」
「……口が滑りました」
きゅうんと小さくなってしまった少年を背後に張り付かせたまま、年嵩のコンラートは乱暴にタオルで《若いの》を拭き、籠に入れていた衣服を大雑派に着付けた。
「さあ、水を飲んで横になれ。そのうち、元に戻るから」
「戻る…?」
きしりと音の鳴るベッドに横たえられると、若いコンラートは瞼が耐え難い重さで被さってくるのを感じた。
「ああ…俺もそうだった。不思議な夢を見て…気が付いたら、この部屋に寝ていた。後でヨザにしこたま怒られたがな」
「ヨザ…ああ、樽が倒れてくるとき…叫んでた……」
「あいつ、必死になって俺を捜したらしい。散々捜して見つからなくて、放心状態になってた時に宿の奴にこの部屋で寝てると言われて…襟首を掴まれて揺さぶられた。ああ…思い出したよ。あいつがあんなに必死の顔をしているのを見たのは初めてだったから、大声を上げて笑ったんだ」
「そりゃあ…怒ったろうな……」
とろとろとした心地よい眠気が波のように寄せてきて、若いコンラートは楽しそうに口元を綻ばした。
「そりゃ怒るよなぁ!」
少年も笑いながら、ベッドサイドに頬杖をついている。
やはり、見れば見るほど可愛らしい少年だ。
『本当に…この子に会えるのなら、未来というのも案外捨てたものではないのかもしれない…』
そっと手を伸ばして、頬に当てた手の上にコンラートの手を重ねると、少年は慈しむような眼差しで、その手の上へと更に自分の手を重ねた。
頬ずりするような形で、夢見るように細められる瞳…。
「生きて、いてね…。大変なこととか辛いこととか、凄くたくさんあると思うけど…でも、絶対楽しい未来が待ってるから。だから…生きて生きて生き抜いて…栗毛馬に乗って、《俺》を迎えに来てね、王子様」
冗談めかした言葉の割に、何故だがその語調と眼差しは切なげで…見ていると胸がきりりと締め付けられるようだ。
「待っていてくれる?俺が年を取るまで」
「うん…待ってるよ」
「そうか…それは、楽しみ……」
すぅ…と瞼が閉じると同時に、若いコンラートの姿がゆっくりとぼやけていき…少年の手の間から温もりと存在感とが消え、人の形を呈した掛け布団がふっさりと敷き布団の上に被さっていく。
「消えちゃった…」
「寂しいですか?ちょっと灼けますね…ユーリは若い俺の方が好きですか?」
ほろりと零れた涙をぺろりと舌で舐め上げると、あながち冗談とも思えない声音が責めるように少年の耳朶に流れ込む。
その内、舌自体がするりと入り込んで耳孔を責めるものだから、少年はびくびくと背筋を震わせて逃げを打つ。
「もー、くすぐったいって!」
「それだけじゃないでしょう?」
くすくすと笑いながら耳朶を噛めば、ぷふっと少年が吹き出す。
「その笑い方、若い頃から一緒なんだね」
「こんな風に笑ってましたか?あの頃は、あまり笑った記憶がないんですけどね」
「最初はちょいワル風の笑い方だったけどさ、そういう風にも笑ってたよ?」
「そうですか…やはり、俺は俺ですね。あなたを前にすると、どんな縁故があるかなんて予備知識がなくても楽しくなってしまうんだ」
「覚えてないの?」
「あの時は、てっきり夢だとばかり思っていましたからね」
「結構常識人?コンラッドって。あ…それよか、なんでコンラッド…タイムトリップなんてしたんだろ?時を駆ける少年…いや、青年?」
「推察するしかありませんが、十中八九あの方の差し金ではないですかね?」
「あー…悪戯好きのあの魔族様?うーん…何のためにやったんだろうねぇ」
「それこそ、お味見ということですかね」
おそらくは、有利という存在を刻むことによって、あの眞王陛下は自分の思惑がすんなりと進むことを期待したのではないだろうか?
まぁ…単に面白がっているという可能性もないではないが。
「味見?…もしかして、俺の?」
「ええ、確かに朧気ながら覚えていた印象があなたと合致したときに、頭の奥で火花が散りましたからね。ですから、先程も途中までじっと我慢していたんですよ」
「うー…道理でじりじりした顔してるくせに止めないなーと思ったんだよ!」
「すみません。記憶の中では俺も、そこまでやっていたものですから…」
「俺、危うくあんたが3Pとか狙ってるのかと思ったよ!」
「それも楽しかったかも…あ、殴らないでユーリ!」
ぽかぽかと少年が殴りかかってくるものだから、コンラートは笑いながらクッションで防御する。
「嘘ですよ。幾ら相手が若い頃の自分自身だとしても、あなたへの想いが熟成してないような者に、食べさせるわけにはいきません」
「食べる言うな!」
「俺も…今日は食べてはいけませんか?北海道産…いえ、埼玉県産の最高級品を頂きたいのですが」
「う〜っ!もうっ!その表現禁止っ!」
自分から言い出しておいて、少年は真っ赤になってぽかりと恋人を殴る。
勿論、DVにならない程度の軽い打撃なのだけど…。
「その前に、コンタクト外したい」
「外しましょうか?」
「ん…」
瞳から慣れた動作で薄硝子を外すと、晴れ渡る夜空のような漆黒が現れて、しっとりと濡れたようにコンラートを見詰める。
「………あんた相手だと、やっぱ平気。不思議だねぇ…同じあんたなのにな」
「想いの量が違いますから」
そっと寄せられた唇を、少年…有利は、今度は抵抗することなく受け止めると、おずおずとまだ慣れない仕草で腕を回すのだった。
* * *
「こ…んの……馬鹿野郎!」
「ん……ヨザ……。煩い」
「なーにが煩いだっ!手前、さんざ心配かけさせやがって!俺があの生臭い箱と酒臭ぇ樽をどんだけひっくり返して捜したと思ってんだ」
ムントの宿屋の一室で、コンラートはヨザックにがくがくと襟元を揺さぶられながら、とろーりと半眼に瞳を開いていたが、ヨザックの形相に気づくと急に吹き出してしまった。
「あ…ははははっ!本当に珍しい顔で怒ってるな!」
急に馬鹿笑いを始めた友人に、ヨザックはもう馬鹿馬鹿しくなってしまってへたり込んでしまった。
何だかもう疲れ果ててしまって、脳天気なコンラートの発言に抵抗する気力もないのだ。
先程は…文字通り血の気が引く音を聞いた。
崩れていく酒樽の下にコンラートがいたこともだが、何よりも…彼が、樽が崩れてくることを知りながら動かないことが怖かった。
まるで、生きていることに何の未練もないように感じて…怖かった。
その彼が、一体どんな夢を見たものか知らないが、やけに上機嫌で微笑んでいる。
それがどうにも不条理で…同時に嬉しくて、ヨザックは仏頂面を浮かべつつも、再び暖かな寝床に戻ろうとする友人の頬を抓(つね)るのだった。
「痛い…ヨザ」
くすくすとコンラートが笑う。
そんな風に屈託なく笑う彼の様子はとても久し振りで、ヨザックは仏頂面を維持していくことが出来なくなってきた。
「おーい…どんな夢見たんだよ」
「年を取った俺がいて、良く笑う可愛い子が傍にいた」
「ふぅん…それがそんなに嬉しい夢かねぇ?」
「ああ…とても楽しかった。あんな時が来るのなら、このまま生きていたいな…と思うくらいには……」
「そりゃあ、良い夢だな…」
とろとろと眠りの中に引き戻されていく友人を見やりながら、ヨザックはダークブラウンの頭髪を撫でてやり…そして、奇妙なことに気付いた。
『こいつ…何時の間に風呂まで入ったんだ?』
微かに安酒の匂いは残っているものの、さらさらとした髪の質感は洗い立てのそれで、あれだけ泥酔していたにもかかわらず、ちゃっかり風呂に入って着替えた上、布団にくるまっている友人の底力に驚嘆した。
「大したタマだよ、あんた…」
呆れたように言うが、世の中を悲嘆して生きていく力を失っているよりは余程良い。
「良い夢みなよ…」
健やかな寝息を立てている友人に意識がないのを良いことに、ヨザックはひどくやさしい声で囁きかけると、シャツを脱いでするりと同じベッドに入った。
あの様子だと、酔っていた間のことは覚えていまい。
それなら散々苦労を掛けられた分、少しばかり脅かしてやろう。
『昨日はあんた…激しかったぜ』
明日の朝、目覚めた彼にそう言ったらどんな顔をするだろうか?
くすくすと笑いながら、ヨザックもまた瞼を閉じた。
明日は、きっと今日よりも楽しい日になると信じながら…。
おしまい
ヨシは今の次男も好きですが、若獅子時代の次男も大ファンなんですよ〜vv
ありがたく頂きましたです、ぽん様♪